犯人は33歳の記憶を持った「薬が作りだした幼児」だった!



精神科薬による副作用「感情の幼児化」は無論子どもだけではなく大人にも起きる。大人にこの症状が起きればより悲惨な状況が作られる。この事件はその典型である。

2006年秋田県で33歳のシングルマザーが9歳の娘を川に投げ落として殺害した後、さらに近所の同級生の男の子を殺害して遺棄したとされる事件で概要は次のようなものである。



娘が行方不明だと母親が警察に通報したのが事件の始まりだった。やがて近くの川原で遺体が発見され警察は事故死と断定する。ショックを受けたらしい母親は精神科に4日ほど入院。退院後事故ではないと騒ぎ立てマスコミの目を引くことになる。そして近所の同級生の男の子の遺体が発見され日本中の注目を集める中で逮捕される。多くの国民がテレビで母親の姿を見、「わが子を殺しておきながらぬけぬけと被害者を演じていた鬼畜」像を抱いた。検察は死刑を求刑したが娘への殺意を明確に立証できず無期懲役となった。

犯人とされた母親は幼いころから父親の暴力に怯えて育ち、人になじめない性格で学校ではいじめられた。高校卒業後家を出て温泉ホテルなどで仕事をするが父親に連れ戻され結婚。娘が生まれたが離婚し、パチンコ店などに勤めるが退職。生活保護を受けるが借金が膨らみ自己破産する。自律神経失調症で精神科に通院し安定剤や睡眠薬を多用、自殺未遂を繰り返すようになる中で事件は起きた。

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誰もが母親の顔を何度も見たであろう事件であるがその真相は多くの人が考えているものとは違っている。

近所の住人をはじめ母親を知る多くの人がテレビに映し出される異常に興奮し強い口調で訴える母親の姿に違和感を覚えた。どちらかと言えば人目を避けるように暮らし、自ら話しかけることなどほとんど無い陰気で内向的な性格だったはずの母親。その変わりようにまるで別人のようだと証言する人もいた。

本来の母親はテレビに映し出されマスコミが作り上げた鬼畜像とは全く違っていて、幸せとは言えない幼少期や男運の悪さの中でそれなりに一生懸命に生きてきた心の弱い女性だった。母親を知る多くの人の証言がそれを裏付けている。ではテレビに映し出された人物像は何だったのだろうか?

母親は二度精神科に通っている。一度目は2003年に勤めていたパチンコ店を辞めて精神的に不安定になっている時に民生委員に勧められてのことだ。この後自殺未遂を繰り返すようになっている。安定剤や睡眠薬を常用し娘が川に落ちた時も睡眠薬の影響があったとも言われている。女一人での子育ての大変さは生活苦とともに母親を追い詰めていたのは確かではある。

娘は殺害したのではなく事故死だったのだろうと私は思っている。確かにいなくなればいいのにという気持ちが無かったとは言えないだろうが、それはシングルマザーのほとんどが頭の片隅で考えることに過ぎない。娘が橋から落ちた瞬間の記憶が無いということから考えて「ショック」な出来事がその瞬間起きたのだと思われる。殺そうと思ったらそれはショックな出来事ではない。事故だったから「ショック」を受けて記憶がなくなったのだ。そういうことが私の妻に幾度もあったから私は容易に理解できる。それに殺そうとしたのなら事故死とされた警察の判断を覆す必要など全く無いのだ。

娘の遺体が発見された後、精神的に不安定な状態となって精神科に4日ほど入院する。ここでおそらく抗不安薬を処方されたのだろう。この時点で退行を起こしたのは明らかだ。

退院した母親はまるで「別人」のように異常な興奮状態となっていた。娘が事故死ではなく事件に巻き込まれたと警察やマスコミ、近隣の住民に過激に訴え始めるのである。これが自分の殺害を隠す作戦と言われているがあまりにもばかげている。この時点では娘が本当に行方不明になったと思っているのだ。その時の記憶が無く、さまざまな妄想の記憶をコントロールする感情を失って起こした行動なのである。近所の男の子を殺害したのも明確な殺意があった訳ではなく妄想と現実の区別がつかない状態での行為である。この間の出来事には理由を見つけることができず幼児のような行動としか表現できない。しかしマスコミはパフォーマンスだと吊るし上げ、私を含め多くの国民はそう思い込まされた。

母親にとっての最大の不幸は薬によって性格が大きく変わったことを認識できる家族が誰もいなかったことである。両親とは距離があり、彼氏とされる男は検察側に利用されてしまう程度の仲でしかなかった。それまでとは全く違う異常な興奮状態がテレビで放送されても家族は否定できず、ふてぶてしい犯人像として定着してしまった。

裁判ではこの一連の出来事をよく覚えていないと証言している。検察側はそれを偽証だと言っているが感情の幼児化が発症して間もない状態の記憶は幼児期の記憶のように霧の中を歩いているような不明確なものとしてしか残らないのだから本当なのである。彼女自身なぜ事件として捜査することを望み、なぜ殺したのかを時が過ぎてから説明できないのは仕方ないことなのだ。

自分がどうして罪を犯したのかは理解できなくても時が過ぎるにつれ罪の大きさは感じるようになるのだが、幼い感情からの愚直な謝罪は相手にも世間にも受け入れられない。

従来の精神科薬の副作用の考え方である抗うつ薬の脳内物質の異常によって起こる「せん妄」「攻撃性が増した」状態では症状の出方や裁判まで含めた時間軸上の精神状態が説明できない。そういう考え方があったかどうかは知らないが「副作用」という話は弁護側からも聞かれなかった。また、ネット上などで精神科薬と凶悪事件の関係を疑う方々もどのようなメカニズムによって事件に繋がっていたのかを具体的に説明することはできていない。

母親は人とのコミニケーションに障害のあるアスペルガーでも解離性障害でもない。33歳の記憶を持った幼児か赤ん坊だったのだ。正常な意識とは程遠い世界で起こした事件によって母親は無期懲役の判決を受け服役している。幸福に縁の無かった人生の終わりが刑務所であることをどう表現すればいいのだろうか。少なくとも精神科に行かなければこの事件は起こらなかったはずなのに製薬会社も精神科医も何一つ罪を問われることはない。



たくさんの専門家がかかってもこの母親の心理状態を説明しきれない。しかし私はそのすべてを説明する事が出来、すべてのつじつまを合わせる事が出来る。それは息子に起きた副作用をおそらく「世界で初めて」詳細に記録し「何が起きているのか」を初めて理論化できたからだ。多発する「不可解な」凶悪事件のつじつまが合う、どんなサスペンス小説や映画よりも恐ろしい事が起きているのを誰も知らない。本当の事を言っているのにマスコミもジャーナリストも誰も信じてくれない。テレビや映画に登場するような「カンの鋭い正義漢」的ヒーローは現実には存在しないのだ。



<参考文献「橋の上の殺意」鎌田慧著 平凡社>



息子に起きたこの副作用の詳細な記録は下記を参照してほしい。

http://toshio1131.web.fc2.com/


 


 


 


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