犯人は35歳の記憶と知識を持った幼児だった!感情記憶の喪失「退行」が凶悪事件を起こす。初めて明かされる驚くべき真相!


  3
月29日下関通り魔事件の犯人に対する死刑が執行された。

公表されている事件の概要は次のようなものである。

・・・

1999929日午後425分頃、山口県下関市のJR下関駅構内に突然乗用車が突っ込んで、駅にいた通行人を跳ねながら暴走、その後車から降りてきた男が包丁を振りまわして逃げ惑う人々を次々と殺傷。この事件で5人が死亡、10人に重軽傷を負わせた。現行犯で逮捕されたのは運送業の男(当時35歳)だった。

 犯人の男は九州大学工学部建築学科に進んだが対人恐怖症を発症しなかなか就職しなかった。このため87年には心配になった両親が東京の病院に入院させた。885月にも福岡市内の精神病院に入院している。

 症状はある程度安定し、その後はいくつかの職場を経た後福岡市内の設計事務所に勤め、92年に自分で設計事務所を開き、93年には結婚相談所で出会った女性と結婚した。

 97年あたりからは対人恐怖症によるトラブルからか営業不振になり、98年、事務所を閉鎖。99年に軽貨物輸送の仕事を始める。98年別居状態になっていた妻と離婚。

 仕事に使っていた軽トラックが冠水して故障しローンだけが残り父親に援助を求めたが父親はこれを拒否、家の車を貸してやるからそれで仕事を続け、自分でローンを返すように諭した。

 元々、真面目な努力家だったはずの男はそうした災難や、人々の仕打ちもあって、社会に対する憎悪の気持ちを高めていった。努力していてもうまくいかないとなると、周りに責任があると考え「社会にダメージを与えてから死んでやろう」と通り魔犯行の大量殺人計画をたてる。

 逮捕後「社会に不満があり、だれでもいいから殺してやろうと思った」「池袋事件のようにナイフを使ったのでは大量に殺せないので車を使った」などと供述し、「神の指示」などと意味不明の発言を繰り返し、時に奇声を上げて廷内で暴れるなど奇行が目立ち始める。こうした行動が罪逃れのための演技であるか実であるか、精神鑑定が行なわれた。

 検察側が死刑求刑の根拠とした鑑定は、犯行時の精神状態を「人格障害が背景となった反応性うつ状態を繰り返していたが、刑事責任能力への影響はない」と結論付けた。一方、弁護側が受け入れた鑑定では「統合失調症に近い妄想性障害で、心神喪失または心神耗弱」と判断している。(公開されているニュース記事などから一部転載)

・・・

88年の入院から断続的に精神科に通院していた犯人の男性は犯行直前にSSRI、抗不安薬、大量の睡眠薬を服用していたことがわかっているが「副作用」の可能性は弁護側からも出てこない。その理由はSSRIなどの副作用とされる「脳内物質の分泌異常による一時的なせん妄、攻撃性」という症状が当てはまらないからだろう。事件前から良くない素行や考え方が目立ち、事件後も後悔や反省が見られないのだから当然と言えば当然だろう。精神鑑定はどちらも正しくどちらも間違っている。統合失調症に近い妄想性障害という判断は97年頃から薬の副作用による退行によって半永久的に引き起こされているものであり、知識記憶には全く問題が無いので副作用の知識の無い精神科医では「子どもっぽい」というだけでは責任能力が無いとは判断できないだろう。
 男性は97年事務所が営業不振になったあたりから、断続的に服用していた精神科薬によって前頭葉が萎縮し、感情記憶が失われる「感情記憶の喪失」を起こし同じ記憶をもった「別人」になっていたのだ。幼児化した感情が仕事相手にも家族にも愛想尽かされる原因だった。社会や家族と密接な関係を持っている成人がこの症状を起こせば悲惨な結果を生むことは以前にも書いた。その変貌ぶり、抑制の効かないわがまま、短絡的な思考、常識ある社会人とは思えない行動。知識や記憶はそのままに感情だけが幼児化する副作用の典型的な症状だ。精神科医はもちろん家族もそんなことが起きているとは夢にも思わないから病気が悪化した、おかしくなったとしか考えられず失望し距離を取るようになってしまう。そのことが回復時の再成長に影響を及ぼし「負の記憶」が重ねられていく。薬の断続的服用によって幾度も幼児化は起き「感情記憶」はその度に消えるが一般記憶として大脳皮質に記憶された「負の記憶」は消えない。やがて幼児化した感情が「負の性格」と「負の記憶」によって生み出される妄想をコントロールできなくなり、事件の引き金となる。逮捕後、薬は止められても感情の再成長には長い時間が必要であり、安定した環境と愛情によってのみ正しい成長が期待できるが、その環境は望むべくもなく歪んだ感情が形成され罪の意識が芽生える事もない。取り調べ時の奇行は演技でも何でもない幼児そのものなのだ。

男性は2度殺されている。一度目は97年に「人格」が、3月29日に「命」が殺された。死刑という非文明的で野蛮な刑はそれだけであってはならないが、万一この事が証明されて男性に責任が無かったとされても失われた命は返ってこない。唯一の存在意義である「犯罪抑止」もこの副作用による凶悪犯罪には全く効果が無い。真犯人である製薬会社と精神科医、この事態を放置している国は何の責任も追及されない。被害者の家族の方、加害者の家族の方、本当にこれで満足なんですか?警察も専門家もジャーナリストもどうしてこのおかしさにいいかげん気がつかないのだろう?

こうして100%確実な副作用による犯罪にピリオドが打たれ、真実は明らかにならないまま新たな犯罪が起き失われなくてもいい命が失われて行く。類似する事件がどれだけ起きているかよく考えればわかるはずだ。私はこの悲しみの連鎖を止めたい。

この事件に関して副作用の可能性を指摘する方々でもどうして犯罪が起きるのかまで説明できた方はいない。それはこれまで「感情記憶だけが消える」という副作用が存在する事を誰も知らなかったからだ。おそらく日本で初めて私がその詳細を記録し、何が起きているのかを理論化した。すべての状況が説明可能で、すべてのつじつまがあう、それは真実だからだ。多発しているのに誰も知らないこの副作用については下記を参照してほしい。これは嘘でも空想でもない「事実」である。

http://toshio1131.web.fc2.com/